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あいすまん

あいすまん

沖縄現代詩史論(後)


終論
県内詩壇における新人発掘という観点からの提案

 これまで見てきた新聞や雑誌、同人誌、山之口貘賞の考察をまとめると、以下のことが言える。
新聞紙上や雑誌での投稿欄や学生同人誌を経ての貘賞応募者が多く、それらがなくなった昨今、応募者の顔ぶれに変化がなくなっている。これは詩集を出版する段階に到達するにはワンステップ必要であり、そのステップを「琉球詩壇」や「琉大文学」が担っていたということの現れである。現在はそれが無いために応募する段階まで辿り着ける新人が激減した、即ち現在県内詩壇に新人の登竜門となり得るシステムは一つもないということができる。
 この現状を打開するにはそのシステムを作ればいいのだが、どのように作るかと考える時、これまでの考察を踏まえると以下の三点に留意する必要があるといえる。
【一】広く周知・流通させること。
新人を呼び込むには詩壇の外側にアピールする必要があり、普段詩の雑誌など読まない人の目にも触れる新聞などで告知するのが、効果が大きいと思われる。同人誌で作品を募集する場合は、新聞等での書評や紹介記事での告知はもちろん、大手書店への委託販売などで流通経路を拡充する必要がある。
【二】確固たる評価基準があること。
 投稿欄にせよ賞にせよ選考をする上で最も重要な点であることはいうまでもない。詩壇においてある程度の評価を受けた者が選者になることが望ましいだろう。
【三】気軽に投稿(応募)できること
原稿用紙、ペン、封筒、切手。この四つさえあれば投稿できるというのが望ましい。手間や資金がかかると新人を遠ざけ、応募者数が減る。Eメールというのも手軽だが、応募者の身元の確認において不確かさが否めない。
上記三点について「琉球詩壇」『新沖縄文学』にはいずれも揃っていた。しかし山之口貘賞には【三】が欠けており、新人発掘の機能は果たしていない。他県における同人誌の投稿欄は、【一】にやや難があるが、いずれも揃っている。

以上のことを踏まえて、以下は新人発掘の観点からの提案。

①投稿欄に関する提案

(1)新聞紙上の詩壇の復活

 県内の新聞で広く詩を募集。他県はそれだけで応募者数に困っていないようだが、あしみね・えいいち氏に依存し、恐らく応募者の減少によって続かなくなった「琉球詩壇」の例を踏まえ、選者は任期制にして負担を軽くする。そして募集要項を随時掲載し、公募であることを広く認知させる。それでも応募者数に困るようなら公立図書館や学校図書館などで告知したり、大学文芸サークルや高校文芸部などへ誘いかけても良いと思う。詩誌『交野が原』(大阪府)のように小中学校にも呼びかけてもいいかもしれない。選者の人選には沖縄の場合事欠かない。二八人の貘賞詩人(故人を除く)というストックがあるからだ。たとえば、単純計算だが以後毎年一人受賞者が輩出されると仮定し、任期一年で既存の受賞者から順に依頼したとしてもこれから五五年は継続できる。なお山之口貘賞の選考に公平性を保つため貘賞選者と紙上投稿欄の選者とは別の人物であることが望ましいので、上記の年数は花田英三を省いた二七人に今後一人ずつ輩出されると仮定した受賞者の数を加えたもの。
 わたしが高校、大学と文芸部を運営してきたうえでいえることは、詩は、小説など文字数の多い大きな体系としての言語を操ること以前に、または俳句や短歌など極力無駄を省いて凝縮された表現を身につける以前に、人生経験が少ないために語彙力の少ない新人にとって多すぎず少なすぎない言葉で自分の心境を形作ることができ、新人にとって文学の入り口ともいうべき位置付けができると思う。詩を書く以前に「詩らしきもの」を書くことが、他ジャンルに比べて容易であると考える。しかしその違いは大きく、とりあえず形にさえすれば他人の評価を仰ぐことができるのであり、そこから誤読を招かず独自性を持ち普遍性を獲得していって本当の詩を書けるようになればいいし、他のジャンルへ移ってもいいと思うのだ。従って、若い世代が詩を書かなくなるということはあり得ず、投稿欄等の応募者数が減少するというのは、周知が徹底されていない等の理由により詩壇の入り口であるはずの投稿欄と若い世代の詩を書く層とが乖離してしまっていることを意味する。即ち、投稿欄の応募者数を常に選考に値する程度確保するには、周知を徹底することが肝要であるのだ。さらに現在は若い世代にとってロック、ポップスなどの商業音楽がマスメディアを通じて誰もが共有する情報となっており、初対面でも通じる共通話題となっているばかりか、それらの歌詞を真似て、それらの歌詞から言葉を借りて自分の心境を仮託し、詩を書き始める者も中高生を中心に増えている。インターネットで個人サイトを運営したり、マンガ同人誌の即売会などでパロディマンガに紛れているそれらの詩を書く層が、もしかしたら若い世代の詩を書く層の多数派であるかも知れないのであり、それらおよそ詩の雑誌など読まないであろうサブカルチャーにどっぷり浸かっている若者に対しアピールできるのは、ほとんどの家庭に毎日配達される新聞が最適なのだ。

(2)県内の詩の同人誌で投稿コーナーを設ける

 先述のとおり他県には投稿欄を持った同人詩誌が存在するが、県内にはない。同人詩誌は多数あり、それぞれが方向性を持って独自の展開を見せているのだからそのあり方に異論はない。しかし新人発掘の観点から提案するなら、県内大手書店へ委託販売し、発行の度に新聞に紹介記事や書評などが掲載される県内大手同人詩誌は、ある程度の認知度は得ていると思われ、公立図書館や学校図書館など新人を意識した流通経路の拡充と、選考の客観性、コーナーの継続性の三点に配慮さえすれば、投稿を受け付けて継続させることは可能だと考える。
ただ、『Lyric Jungle』などは大阪、京都、神戸など関西を中心に名古屋、東京まで広範囲にわたって紀伊国屋など大手書店一六店舗で販売し、インターネット書籍検索でも六サイトで検索可能であり、季刊で投稿欄を継続させているという力の入れようだが、それでも一回の投稿数が少なく、三号(二〇〇二年六月)の場合は一〇篇でしかない。その中から合評したうえで五篇を掲載しているわけだが、同人誌における投稿欄というのは、全国の書店にある『ユリイカ』や『詩と思想』などの商業誌とは違って応募者数に悩まされそうだ。とはいえ〈常に安定した力を示す書き手には、本執筆陣に加わっていただく〉(注一一)とあるように、可能性の面では否定できない。

②賞に関する提案

先述したとおり、賞は新人の登竜門としての機能を本質的に持ってはいるが、山之口貘賞はその機能を担っていない。それは応募規定に「詩集」という制約があり、応募以前のハードルが高すぎるからであり、それを新人発掘の観点から克服するために以下の提案をする。

(1)新人賞の設置 詩を一篇単位で募集

詩一篇単位での公募は、原稿用紙さえあれば文字数などの応募規定を違反しない限り誰でも応募可能である。賞金などあれば、それだけで求心力は潜在的に大きいと考えられ、新聞や雑誌等で告知するなどし、周知させることに成功すれば応募者数に困ることはないと考えられる。選者は先述のように貘賞詩人の中から依頼してもいいだろうし、山之口貘賞同様に全国区の詩人を一人招くとなおいいだろう。そして県内詩壇の新人発掘という観点から重要なのは、応募資格は三十歳未満とするなど新人賞であることを明確に規定し、県内在住あるいは出身者に応募資格を限定することだ。伊東静雄賞や現代詩中新田賞、「詩と思想」新人賞など、全国に詩一篇単位で新人を発掘しようという懸賞はいくつもあるが、全国公募のそれらのスタイルに対し県内詩壇の活性化という観点から手を加えるなら、小説における琉球新報短編小説賞(琉球新報社)や新沖縄文学賞(沖縄タイムス社)のように県内の新人に応募資格を限定するというわけだ。
 また、事前の告知や、受賞者の発表と選考経過などの報道、そして先行委員の依頼や賞金など、賞の運営に必要となる資金の捻出のためにはスポンサーが必要であり、その全てをまかなえるという点で、他の県内文学賞同様新聞社が主催するのがベストであると考える。

(2)或いは山之口貘賞の応募規定の改定

 元来新人賞の性格を持たない山之口貘賞に新人の登竜門となることを望むのはお門違いかも知れないが、以下のように規定を改定すれば可能ではないかと考える。詩集に限定せず、ある程度の基準を設け、複数の詩をまとめた詩篇での応募も受け付ける。その場合の受賞者には賞金は授与せず、かわりに詩集出版権を授与する。たとえば「詩二〇篇以上。全体で原稿用紙五〇枚以上」というふうに基準を設け、詩篇での受賞者には賞金一〇万円のかわりに応募詩篇を詩集として出版するというもの。
 前者に比べると質に加え量が要求されるため新人の応募者は限られてくるだろうが、現応募規定である「詩集」と比べると「詩篇」は原稿用紙だけでいいのでコストが格段に安く、むしろ前者に近いぐらい応募以前のハードルは低くなる。さらに受賞後の詩集発行までケアすることにより受賞者の詩壇デビューをもサポートすることになる。しかし山之口貘賞自体は元来新人賞という性格は持っていないため、受賞の道を歩めるのは新人にして他のベテラン候補を退ける実力を持つ者のみとなり、ここでも前者の例よりは新人にとっては間口の狭い登竜門となる。
 既存の賞の応募規定を変更するというのは、新たな賞を始めるわけではないから資金面ではこの案のほうが現実的であるかもしれない。しかし逆にこれまでの決まりごとを変えるということは、これまで貘賞に関わってきた人たちにとっては新たな賞ができることより抵抗感が強いかもしれない。


 以上だが、現在沖縄の詩壇には、新聞や雑誌での投稿欄が俳句や短歌と違って存在しないうえ、原稿用紙で応募できる琉球新報短編小説賞や新沖縄文学賞のような新人賞的性格を持つ懸賞が小説の世界とは違って存在しない。従って「琉球詩壇」や『新沖縄文学』、『琉大文学』で台頭した詩人が現在にいたるまで詩壇の中心的役割を担いつづけてきたのだ。先述の『沖縄文芸年鑑』で判断する限り、このまま新人の登竜門となり得る場がなければ十年後には六十代が中心となり、二十年後には七十代が中心となる。ある程度の量の新人の継続的な詩壇への登場がなければ、新たな世代は形成されないのであり、沖縄の詩壇に新たな変化や多様性の幅がなくなるのはもちろん、近い将来書き手不足という危機的状況に陥るのは目に見えている。
 新聞を含め、同人詩誌や詩の書き手、詩壇そのものが危機感を抱き、何らかの行動を起こさねばならないことは言うまでもないことだ。



注釈(引用文献・解説など)
(一)「沖縄・奄美文芸関係者人名録」『沖縄文芸年鑑2001』沖縄タイムス 二〇〇一年
(二)年齢は二〇〇三年の満年齢とする。以下指定のないものは二〇〇三年の満年齢、指定のある場合はその年の満年齢。
(三)あしみね・えいいち「琉球詩壇・あとがき」「琉球新報」一九六六年二月二十八日
(四)確認できた『発想』三号(一九六九年)五号(一九七〇年)六号(一九七一年)ではいずれも比嘉加津夫が編集後記を書いており、編集責任を負っていたことがわかる。また、川満信一「詩時評〈県内〉十二月」(「沖縄タイムス」一九九九年十二月三〇日文化面)でも言及されていた。
(五)高良勉「感性力と思想力」(跋文)桐野繁詩集『すからむうしゅの夜』ふらんす堂 二〇〇一年
(六)国井洋「『LUFF』紹介」『季刊おきなわ』2 ロマン書房 一九八五年
(七)照井裕「編集後記」『炎天』5号 一九八七年八月
(八)下地邦広「『表現の地平へ』近小研の過去と未来」(「近代小説研究会一〇周年に寄せて」)『炎天』十六号 沖縄国際大学近代小説研究会 一九九五年
(九)受賞時一〇代は一人(前期〇・後期一)・二〇代〇人、三〇代八人(八・〇)、四〇代六人(四・二)、五〇代が五人(三・二)、六〇代が九人(一・八)、七〇代一人(〇・一)。八〇代以上は〇人。
(一〇)山之口獏賞受賞者の生年(年代別)・・・一九二〇年代四人、一九三〇年代八人、一九四〇年代一三人、一九五〇年代五人、一九六〇年代〇人、一九七〇年代〇人、一九八〇年代一人。
(一一)「投稿作品大募集」『Lyric Jungle』3 りりじゃん社 二〇〇二年


転載:『碧流』(沖縄国際大学文学部国文学科大野ゼミナール 2003)より


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